東日本大震災

未曾有の大地震に被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。
一人でも多くの方のご無事をお祈り申し上げます。
 自然科学に関心を持つものの一人として、人間の知識・能力は本当に取るに足りない小さなものだということを実感します。

 佐野は10日(木)、久しぶりに佐倉に戻り、11日(金)は定期の予約診療を受けるため東京、文京区にある病院に朝から行っていました。二つの科の診療を終え、外の薬局で薬をもらい、午後2時半過ぎ遅い昼食を病院近くの中華レストランで取っているときにこの地震にあいました。

 最初はカタカタという小さな縦揺れが結構長く続き、その後弱い横揺れがきたので、遠方の地震だと判断し、食事を続けていました。しかし、横揺れは収まるどころかますます激しくなり、ゆっさゆっさとビルが揺れ始め、食器が棚から落ちて割れる音が聞こえました。揺れるどんぶりを手で押さえ、それでも食事を続けようとしましたが、いち早く外に飛び出した店員さんの「お客さん!外へ避難してください!」という声にわれに返り、慌てて外の大通りに避難しました。

 外の大通りは、すべての車が停止し、建物から避難した人で一杯でした。勘定を済ませ、佐倉に戻ろうと駅に行こうとしましたが、やや大きな余震がひっきりなしに続くので危なく感じ、病院いるほうが安全と考え、病院に戻りました。
 
 病院には佐野のように戻ってきた外来患者が結構いました。病院は帰れない患者のために1階と2階の広い待合室を開放し、情報を知ることが大切と何台かのテレビを待合室に持ち込んでくれ、また夜には全員に非常食と水、タオルケットやかけ布団を提供してくれました。看護士さんの定期的な巡回もありました。病院の対応に感謝いたします。

 病院待合室で眠れぬ一夜を過ごし、翌朝は地下鉄以外、電車が動いていなかったので、佐倉に戻ることをあきらめ、新幹線で相生に帰るべく東京駅に向かいました。午前5時過ぎに東京駅に着いたのですが、駅構内は前日から通路などで夜を過ごした人たちで混雑していました。緑の窓口は5時半から開くのですが、すでに長蛇の列でした。やっとのことで切符を買い、新幹線に乗り相生に戻りました。相生は何事もなく普段どおりで前日からの出来事がうそのようでした。なお、佐倉の自宅は、グラスが食器棚から落ちて割れた程度、とのことでした。
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