随想:「日本きのこ図版」など(3)

<前日(19日)より続く>
 「日本きのこ図版」は、スイス菌類図鑑のような原色写真はないが、大きく精密な線画や詳しい顕微鏡図などがあり、これが日本きのこ図版の一つ目の大きな特徴である。記載は外国文献を含む既存の文献をよく調査した上で書かれている。既存の文献を調べても名前がつかないきのこは「青木新稱」として日本語の名前がつけられている。約2千のきのこの多くは既存の文献では名前がつかなかったようで、日本きのこ図版は青木新稱で一杯である。特徴の二つ目はこの青木新稱で一杯であることである。
 新稱のもとになった標本のほとんどは青木氏のお住まいの近くの関東地方西部で採集されたものである。新稱は、広く標本を集めて個体集団・種集団として分類が検討された結果つけられたものではなく、限られた地域の個体のみで分類された個体分類の世界でつけられた新稱であるといえる。分布や採集地の異なる個体集団間の変異の幅の検討など、種集団としての検討が十分になされないまま新稱がつけられていることが三つ目の特徴である。「日本きのこ図版」は日本という名前を冠しているが、決して全国を対象に標本を集めてつくられたものではなく、「関東地方西部きのこ図版」と呼んでもよいものだ。
 日本きのこ図版とは別に、その索引を兼ねる図入りの検索表としてつくられた「日本きのこ検索図版」と称するものがある。篤志家によりインターネット上で公開されていたが、今回、菌類懇話会有志によりオリジナルのコピーが限定数作られ、有料の非売品として頒布されることになった。
 「日本きのこ検索図版」はその性質上、日本きのこ図版よりもいっそう青木氏独自のきのこ分類世界を表現したものになっている。検索図版の使用にあたっては、このことや、その元になった「日本きのこ図版」の特徴をよく理解した上で使うことが必要ではないかと考える。
 「日本きのこ図版は個体分類の世界だ」と評しても、その優れた資料的価値を損なうものでは決してない。日本きのこ図版は「関東地方西部のきのこフロラをこの上なく詳細に記載・解説した資料」として今後も輝き続けることは間違いない。
<完>
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 生物の分類は種を基本とし、それぞれの種の類縁関係を進化の歴史にしたがって体系化していく作業だといえる。
 分類の基本となる種は、単に形態が他と異なるだけでなく、生殖的に他から隔離された繁殖集団であると考えられている(生物学的種概念)。繁殖集団内には程度の差はあるが遺伝子レベルでも、その結果として形態レベルでも、ある範囲の違いが存在する。種は生殖的に他から隔離されている繁殖集団で、集団内では遺伝子レベルでも形態レベルでもある範囲の変異を有する個体集団である。
 このことは、Homo sapiens(ヒト)を例にとれば明らかである。病気のかかりやすさは遺伝子の違いに起因するといわれている。肌に色素が少なく鼻が高く金髪・碧眼の北欧に住むヒトと、肌に色素が多く鼻が低く黒髪・黒眼のアフリカに住むヒトとは形態的には大いに異なるが、種レベルでは同じヒトである。
 菌類では生殖的に隔離された繁殖集団であることを明らかにすることは容易ではない。そこで、形態の変異の幅から生殖的隔離を類推し種を認定するという方法が伝統的にとられてきた。具体的には、各地から採集された多くの標本のマクロ・ミクロの形態形質を調べ、ひとつの種の変異の幅から大きく外れる個体集団を別種とする方法である。もちろん実験で確認することが出来る分類群では交配実験で種を分けることも行われている(太田祐子(2001)交配試験を用いた日本産ナラタケ属菌の生物学的種の判別方法. 微生物遺伝資源利用マニュアル 10)。
特定の地域の菌類フロラを解説する図鑑も、該当地域から出来るだけ多くの標本を集め形態変異を確認し、ある変異の幅に入っていることが確認されたものを同一種と認定し、記載・解説する。
 約30年という長期の調査期間を経てスイス一国の大型菌類フロラを明らかにした全6巻の「スイス菌類図鑑(Fungi of Switzerland)」もスイス全域を対象に標本を集め解説している。さらに、もし誤同定があっても再確認が容易に出来るよう、記載や図や写真のもとになった標本の標本番号を明記している。この標本番号明記はスイス菌類図鑑の一大特徴であり、信頼性の源泉である。
 日本では流通ルートにのった公式の出版物でスイス菌類図鑑に匹敵する図鑑は残念だがまだない。今関六也・本郷次雄 (1987/1989)「 原色日本新菌類図鑑(Ⅰ)(Ⅱ)」保育社や、池田良幸 (2005) 「北陸のきのこ図鑑」橋本確文堂などは、その水準を追う優れた図鑑である。
 流通ルートに載った公式な出版物ではないが、青木実氏がその並外れた情熱を傾け作り上げた「日本きのこ図版」と称するものが存在する。主に青木氏自身が採集した約2千にのぼるきのこを詳細な顕微鏡図とともに記載したものである。はじめは青木氏ほかが会員の日本きのこ同好会の会員内配布のガリ版刷り印刷物として作成された。次々とコピーが重ねられ、今では多くのきのこ愛好家に行き渡っているようだ。
 「日本きのこ図版」は、スイス菌類図鑑のような原色写真はないが、大きく精密な線画や詳しい顕微鏡図などがあり、これが一つ目の大きな特徴である。記載は外国文献を含む既存の文献をよく調査した上で書かれている。既存の文献を調べても名前がつかないきのこは「青木新稱」として日本語の名前がつけられている。約2千のきのこの多くは既存の文献では名前がつかなかったようで、日本きのこ図版は青木新稱で一杯である。特徴の二つ目はこの青木新稱で一杯であることである。
 新稱のもとになった標本のほとんどは青木氏のお住まいの近くの関東地方西部で採集されたものである。新稱は、広く標本を集めて個体集団・種集団として分類が検討された結果つけられたものではなく、限られた地域の個体のみで分類された個体分類の世界でつけられた新稱であるといえる。分布や採集地の異なる個体集団間の変異の幅の検討など、種集団としての検討が十分になされないまま新稱がつけられていることが三つ目の特徴である。「日本きのこ図版」は日本という名前を冠しているが、決して全国を対象に標本を集めてつくられたものではなく、「関東地方西部きのこ図版」と呼んでもよいものだ。
 日本きのこ図版とは別に、その索引を兼ねる図入りの検索表としてつくられた「日本きのこ検索図版」と称するものがある。篤志家によりインターネット上で公開されていたが、今回、菌類懇話会有志によりオリジナルのコピーが限定数作られ、有料の非売品として頒布されることになった。
 「日本きのこ検索図版」はその性質上、日本きのこ図版よりもいっそう青木氏独自のきのこ分類世界を表現したものになっている。検索図版の使用にあたっては、このことや、その元になった「日本きのこ図版」の特徴をよく理解した上で使うことが必要ではないかと考える。
 「日本きのこ図版は個体分類の世界だ」と評しても、その優れた資料的価値を損なうものでは決してない。日本きのこ図版は「関東地方西部のきのこフロラをこの上なく詳細に記載・解説した資料」として今後も輝き続けることは間違いない。

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